英語が苦手な私の北米暮らし

日本で出会った彼と異国籍同士の恋愛から結婚。英語に悩みながらのアメリカ生活日記

クスノキの番人 読了(ネタバレ少な目)

子どもの頃
図書館がもっと近くにあればいつも行けるのに...
ですとか
小学校の図書室は蔵書数が少ない上に1冊しか借りられないからあんまり利用しない(1冊読み終えたらすぐに次が読みたいし図書館の本と混ざったら面倒)
とかしていた私
幸運なことに、現在住んでいる家は人生で一番図書館が近くとても便利です
(といっても日本語の本は小学校の図書室より少ないですが)

越してきた当初はどうせ少ないし...とあまり通っていませんでしたが、郡(区と市みたいな単位)内含めると意外とたくさんあるぞ?と気が付いたので最近よく通っています
基本ハードカバーの本を2冊借り、1冊読み終えたら返しに行ってもう一冊借りるというルーティーン
読む本が途切れないようにしています
Kindle Unlimitedと併用して、ようやく日本語の本を読める充実した生活になりました

一番最近読み終えた

読後感の良い作品でした
途中までは主人公が好きになれなくて、でも徐々に成長していく姿が良かったなと思います
宗教とは違うけど不思議な事象を信じるか否か、というのが物語の中で常に議題になっていますが、今話題になっている宗教法人の話を思い出さずにはいられませんでした
カルト脱出体験として論破する武勇伝が数多く見られますが、当事者の家族ならともかくとして第三者が論破する必要ってあるのかな?と疑問に思っているからです
論破できる能力というか、思考力は大事だと思います
でも他人が信じているものを否定して、”お前は間違っている!”ということに何か意味はあるのだろうか
それよりも
”貴方の信仰は尊重する、私は○○(私の場合は無宗教ですので科学)を信じる、お互い尊重しませんか?”
等の方が、相手に届きやすいのではと思います
その上で
”そんなの神は許さない”
とか言うのであれば、随分心の狭い神もいたものですね、というだけですし
勧誘されるのは迷惑というのはあるでしょうが、ヒトなので尊重し合う為に言葉を使いませんか?と色々な文章を見て思ったのでした

発祥したころはモラルを浸透させたり、統治、コミュニティのために生まれ用いられていたはずの宗教
お金儲けのためだけに使われている場合は何だかな~と思います
現代でもコミュニティ機能は良いところですが、カルトと呼ばれるレベルは怖いです(洗脳然り、荒稼ぎ然り)
みんなバランスよく付き合えたら素敵だな~と思う今日この頃です